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大阪地方裁判所 昭和53年(ヨ)4719号 判決

申請人(別紙選定者目録記載四一名選定当事者―以下「申請人」という)

和田真一

同(同)

渡辺博

右訴訟代理人

赤澤博之

春田健治

被申請人

株式会社布施自動車教習所

右代表者代表清算人

長尾豊

右訴訟代理人

田邉満

被申請人

長尾商事株式会社

右代表者

古川智男

右訴訟代理人

井上洋一

谷戸直久

右訴訟復代理人

大水勇

主文

一  申請人らが被申請人長尾商事株式会社に対して雇用契約上の地位にあることを仮に定める。

二  被申請人らは申請人らに対し、連帯して昭和五三年四月以降本案第一審判決の言渡に至るまで、毎月二五日限り、一か月あたりそれぞれ別紙賃金目録記載の金員を仮に支払え。

三  申請人らのその余の申請を却下する。

四  申請費用は被申請人らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一申請人らの主張一の事実(申請人らは被申請人布施教習所との間で雇用契約を締結し、これまで従業員として勤務してきたこと、申請人らは布施分会の組合員であること及び被申請人布施教習所が昭和五三年四月一九日本件解雇をしたこと)は、申請人らと被申請人布施教習所との間では争いがなく、申請人らと被申請人長尾商事との間では弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

第二本件解雇に至る経過〈省略〉

第三被申請人布施教習所による本件解雇の効力

本件解雇をめぐる経緯は以上のとおりであるが、申請人らはその主張三1において、本件解雇は布施分会と被申請人布施教習所との間で締結された事前協議・同意協定に違反するから無効であると主張するので、この点について検討を加える。

一被申請人布施教習所と布施分会との間で締結された労働協約第七条に「会社が合併や解散、事務所の縮小、長期休業等従業員に重大な影響を及ぼす事項については事前に組合と協議決定する。」と定められている(以下「事前協議条項」という)こと、また、同協約第二条第二項では、「協議決定とは会社と組合が協議決定しなければ、その行為を行うことができないものをいう」と定められていることは、申請人ら・布施教習所間に争いがない。

そして、右事前協議条項には、解雇そのものについての明文の定めはないが、事前協議条項は、企業の改廃、すなわち被申請人布施教習所の合併、解散、縮小、長期休業等組合員の身分や生活に重大な利害関係がある事項については、これを決定するにあたり、組合の関与を認めることにより使用者の恣意を排除し、組合員の労働条件に関する使用者の措置が適正になされることを確保しようとしたものであると考えられ、この趣旨に鑑みれば、会社解散に不可避であつて、しかも組合員にとつて最も重大な労働条件の変更にあたる解雇そのものもまた事前協議条項の事前協議の対象に含まれるものと解するのが相当である。

二ところで、被申請人布施教習所は、布施分会と被申請人布施教習所間に締結されていた労働協約は失効したと主張し、被申請人布施教習所が昭和五二年八月三一日に労働協約第四一条に基いて労働協約解約の予告をしたこと、同年一一月三〇日をもつて予告期間が経過したことは申請人ら・被申請人布施教習所間に争いがない。そして、労働協約を締結した当事者の一方が、労働協約所定の手続に則り、その改廃を求めることは一般に自由であるといわねばならない。

しかしながら、前認定のとおり、(イ)被申請人布施教習所は、従来の労働協約は布施分会の同意又は協議を要するとされる事項が多すぎ、また、組合活動時間を有給で認めるなど、会社側にとつて不利であると考えていたこと、(ロ)被申請人布施教習所が布施分会に対し、労働協約のみならず、従来の労使間の慣行・慣例を全面廃棄する旨の申入れをなし、新労働協約締結の提案をなした時期は、夏季一時金及び小林満茂副分会長に対する処分問題で労使間が紛糾していたときであること、(ハ)当時、被申請人布施教習所は、開始時刻及び出席人数を制限することによつて、団体交渉を実質的に拒否しており、同年九月五日以降、布施分会が労働協約の改廃について被申請人布施教習所に対して団体交渉の申入れをした際にも、右開始時刻等の制限を持ち出して団体交渉を拒否したこと、(ニ)被申請人布施教習所提案の新労働協約(案)は、組合の同意又は組合との協議を要する事項を減らし、組合活動を大幅に制限するなど、その内容は布施分会の形骸化を狙つたものであること、(ホ)その後被申請人布施教習所は、教習生入所受付停止・転退校の措置をとるなどして、事業所閉鎖の危機をあおりながら、新労働協約(案)よりもさらに布施分会の権利を制限・剥奪する内容の再建協定の締結を執拗に迫つたことその他本件解雇に至る経過をみると、被申請人布施教習所は、布施分会の弱体化という反組合的動機をもつて、布施分会が到底受け容れることのできない新労働協約(案)を提示したうえ、事実上労働協約の改廃問題に関する団体交渉を拒否し、時間の経過による労働協約の失効を狙つて労働協約等の全面改廃の申入れをしたものであり、かつ、右解約の効力が生じることによつて、布施分会は、これまでに比し、その運営が極めて不自由になることが認められるから、右申入れは労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であるといわざるをえない。

そして、右のように不当労働行為に該当する労働協約解約の意思表示は、不当労働行為禁止の規定の趣旨に鑑み、労働委員会による救済を受け得るにとどまらず、私法上も当然に無効と解すべきである。

三さらに、被申請人布施教習所は、事前協議条項に則り、事業所閉鎖・解雇について布施分会の理解と同意を得るために尽くすべき措置を講じたと主張し、

被申請人布施教習所が昭和五三年一月以降、布施分会に対して会社再建についての団体交渉をたびたび申し入れてきたが、布施分会はこれに応じなかつたこと、被申請人布施教習所が同年四月一七日に布施分会に対し「事業所閉鎖・解雇」について団体交渉の申入れをしたことは、前認定のとおりである。事業所閉鎖や解雇をするにあたり、組合との協議又は組合の同意が必要である旨が労働協約に定められていても、双方が信義則に基づいて協議を重ねてもなお妥結に至らない場合や、組合に同意権の濫用があるような場合には、使用者は必ずしも協議・同意条項に拘束されないで一方的に事業所を閉鎖したり、従業員を解雇することも許されると解すべきである。

しかしながら、前認定のとおり、被申請人布施教習所は、教習生受付停止措置・転退校措置による教習生の減小及び減収状態をつくり出し、会社倒産や公安委員会による指定解除の危機を理由に、布施分会に対しその形骸化を要求する内容の再建協定の締結を執拗に求め、布施分会が業務正常化のためになした具体的提案及びそれを議題とする団体交渉の要求は一切無視し続けてきたこと、被申請人布施教習所は布施分会に対し事業所閉鎖等について協議の申入れをしたものの、布施分会がこれに絶対反対の意思を表明するや、布施分会が協議すること自体を拒絶したものではないにかかわらず、右協議申入れの直後の同月一九日に布施分会員らに対して本件解雇を通告し、布施分会が事業所閉鎖・解雇について団体交渉を求めてもこれに応ずることなく、また、事業所閉鎖の具体的な理由の解答すらしようとしなかつたことその他本件解雇に至る経過をみると、果して布施教習所が布施分会と事業所閉鎖・解雇の問題について協議というにふさわしい話合いをする意思を持つていたか否かすら疑わしく、形式的にただ一回協議の申入れをしただけでは、たとえ布施分会が議題について絶対反対の態度を示していたとしても、事前協議条項にいう「協議」を尽したものと言えないことは明らかである。従つて、被申請人布施教習所は、事業所閉鎖・解雇について、本件事前協議条項に定められた協議をしたものとは到底認めえないものである。

四してみると、結局、被申請人布施教習所の事業所閉鎖を理由とする本件解雇は、申請人らのその余の主張について判断するまでもなく、事前協議条項に違反したものとして無効と解すべきである。

第四被申請人布施教習所と被申請人長尾商事の関係

次に、申請人らは、被申請人布施教習所がなした申請人らの解雇を無効として、被申請人布施教習所に対し従業員として権利を有する旨主張するのみならず、被申請人布施教習所は実質的には被申請人長尾商事の一事業部門にすぎず、法人格は形骸化し、または、被申請人長尾商事は被申請人布施教習所を支配し、かつ、その法人格を濫用しているから、法人格否認の法理の適用により、被申請人布施教習所の法人格は否認され、被申請人長尾商事は申請人らに対して使用者としての責任を負い、従つて申請人らは重畳的に被申請人長尾商事に対しても従業員としての権利を有する旨主張するので、まず両被申請人及びこれを含む長尾グループの沿革と実態、両被申請人の関係について検討することとする。

〈証拠〉を総合すれば、一応以下の事実が認められる。

一被申請人長尾商事及び長尾グループの沿革

1  被申請人長尾商事の沿革

(一) 被申請人長尾商事は、長尾豊が富士モータースの名称で営業していた自動車修理・部品販売業を昭和二三年に法人化した株式会社富士モータース(以下、「富士モータース」という。以下の会社名もこれにならう。)をその前身とし、昭和二六年にサンカー販売株式会社、昭和二八年にホンダ販売株式会社に、それぞれ商号変更した後、昭和四二年六月一日に現商号に改めた資本金五、〇〇〇万円、発行済株式総数一〇〇万株の株式会社で、本店を大阪市東成区大今里南一丁目二一番一七号に置いている。

(二) 富士モータース及びサンカー販売当時の被申請人長尾商事の営業目的は、自動車修理及び部品販売等であつたところ、昭和二九年以降、自動車の販売や、自動車及びその部品の輸出入という営業目的を加えたり、自動車損害賠償保険の代理店業務を扱うようになるなど、その営業目的を拡大してきたが、実際は本田技研工業製の二輪自動車の販売業務が中心であつた。

(三) 昭和三六年当時の被申請人長尾商事には、前記営業目的に対応して、(イ)新車の販売を行う営業部、(ロ)中古車の販売を行う中古車部、(ハ)修理を行うサービス部、(ニ)部品販売を行う部品営業所及び(ホ)以上四事業部所と後記支店を統括し、経理事務及び保険代理業務を行う総務部が置かれ、さらに神戸地方を営業範囲とする神戸支店が置かれていた。

(四) ところが、被申請人長尾商事は、後記のように昭和三六年から、前記事業部門と神戸支店を順次子会社として分離して総務部の部門のみが残ることになつたため、昭和四二年六月商号を長尾商事に変更するとともに、同年七月三〇日営業目的を、(イ)土地・建物の開発・運営管理業、(ロ)不動産の賃貸、売買及びその仲介並びに鑑定、(ハ)関連会社の資金運営及び経営上のコンサルタント業等に変更したが、従来の従業員の多くは子会社の設立に伴つてこれに移籍するなどしたので、被申請人長尾商事の従業員は五名ないし六名である。

なお、昭和五三年一月二四日以降の被申請人長尾商事の役員は、代表取締役古川智男(長尾豊の女婿)、取締役長尾豊、同長尾雅司(長尾豊の長男)及び監査役塩見俊二の四名である。

2  被申請人布施教習所を除く子会社の設立の経過

(一) 日豊部品株式会社(旧ホンダパーツ株式会社)

昭和三六年二月二三日被申請人長尾商事の全額出資(資本金五〇〇万円)により、同被申請人の部品販売部門が分離され、ホンダパーツ株式会社として設立された。同社は、当初、本田技研工業製の自動車の部品の販売を行つていたが、被申請人長尾商事と本田技研工業との関係が悪化するに伴い、昭和四二年一二月に現商号に変更し、以後各メーカーの各種自動車部品の販売を行つている。

(二) 神戸ホンダ販売株式会社

同社は、昭和三六年二月二三日被申請人長尾商事の全額出資(資本金五〇〇万円)により、ホンダ販売神戸支店が分離されて設立され、主として本田技研工業製の二輪車を販売していたが、被申請人長尾商事と本田技研工業の関係悪化に伴い、新たに取引を開始することになつた鈴木自動車工業株式会社の意向によつて株式会社スズキ販売神戸が設立されたため、昭和四三年五月一日に解散された。

(三) 株式会社スズキ販売神戸

同社は、前記のとおり、鈴木自動車工業と取引を開始することになつたため、昭和四三年一月一二日被申請人長尾商事の全額出資(資本金五〇〇万円)により設立された会社で、神戸ホンダ販売の営業をほぼ全部引き継いだものである。

しかし、被申請人長尾商事は、昭和四七年六月一日同社所有のスズキ販売神戸の株式全部を鈴木自動車工業に譲渡し、以後被申請人長尾商事とスズキ販売神戸とは関係がなくなつた。

(四) 日豊モータース株式会社

同社は、昭和三九年一〇月一三日実質的には被申請人長尾商事の外車販売事業部門が分離されて設立されたものであるが、その資本金五、〇〇〇万円のうち、長尾豊が四、〇〇〇万円、古川智男が五〇〇万円を出資し、被申請人長尾商事は出資していない。なお、日豊モータースは昭和四四年五月三〇日に解散された。

(五) スズキ販売株式会社

同社は、昭和四二年六月一日、被申請人長尾商事の全額出資(資本金一、〇〇〇万円)により、同社の営業部、中古車部及びサービス部の車両関係部門が分離されて設立されたものであり、主として鈴木自動車工業製の軽四輪自動車及び二輪自動車の販売を行つてきたが、スズキ販売神戸の場合と同様、昭和四七年九月、被申請人長尾商事が同社所有のスズキ販売の株式をスズキ自動車工業に譲渡したため、以後被申請人長尾商事とスズキ販売の関係はなくなつた。

3  被申請人長尾商事と被申請人布施教習所を除く各子会社の関係

(一) 資本関係

前記のとおり、日豊部品、神戸ホンダ販売、スズキ販売神戸及びスズキ販売の資本金は全額被申請人長尾商事が出資し、また、日豊モータースの資本金の九五パーセントは、長尾豊及び古川智男の出資である。

(二) 役員関係

被申請人長尾商事の代表取締役であつた長尾豊は神戸ホンダ、ホンダパーツ、スズキ販売及び日豊サービスの各代表取締役及び日豊モータースの清算人となつた。

長尾豊の長男であり被申請人長尾商事の取締役兼支配人である長尾雅司は、スズキ販売の取締役兼支配人、ホンダパーツの取締役となつた。

長尾豊の娘婿であり被申請人長尾商事の代表取締役である古川智男は、日豊モータースの代表取締役、ホンダパーツの取締役及び監査役となつた。

被申請人長尾商事の取締役であつた吉村敏男は、スズキ販売の取締役及び代表取締役になつた。

被申請人長尾商事の取締役であつた篠原信夫は、ホンダパーツの取締役、ホンダパーツから日豊部品と商号変更した後の同社の代表取締役、神戸ホンダの取締役となつた。

被申請人長尾商事の監査役であつた亀尾彰は、ホンダパーツの監査役になつた。

(三) 土地・建物の利用関係

日豊部品、日豊モータースの各本店並びに神戸ホンダ販売の本店及び姫路営業所の土地、建物はいずれも被申請人長尾商事の所有であり、それらを各会社が賃借しており、また、被申請人長尾商事の本店は、スズキ販売の本店、ホンダパーツの営業所として利用され、電話も共同して利用されている。

(四) 経理関係

前記各子会社が分離される以前の被申請人長尾商事では、支店間との取引にはいわゆる本支店会計制度を採用していた。

前記各子会社が分離されて以降、少なくとも昭和四七年頃までは、被申請人長尾商事にスズキ販売、神戸スズキ販売、日豊部品の勘定科目を設け、各会社間の取引については、各会社が表示された共通の振替伝票が使用され、また、長尾グループ共通の決算期である毎年五月三一日には、被申請人長尾商事において合併決算書が作成されるなど、本支店会計制度に類似した制度を採用していた。

(五) 相互保証

被申請人長尾商事は、スズキ販売のために多額の物上保証をし、かつ、その後債務の引受をし、日豊部品、日豊モータースのためにも物上保証人となり、また、スズキ販売と連帯して銀行から融資を受けたこともある。

(六) 以上のとおり、被申請人長尾商事と各子会社は、設立経過、資本関係、役員関係、土地・建物の利用関係等の面で密接な関係を有し、昭和四二年当時、被申請人長尾商事は、被申請人布施教習所の外、日豊部品(旧ホンダパーツ)、スズキ販売神戸、スズキ販売、日豊モータース、を傘下に収め、長尾グループともいうべき企業集団を形成していたが、その後子会社を譲渡したり、解散したことにより、昭和四九年以降昭和五三年までは日豊部品及び被申請人布施教習所を傘下に擁するのみであつた。

二被申請人長尾商事と被申請人布施教習所との関係

1  被申請人布施教習所設立の経過

(一) 被申請人長尾商事は、本田技研工業が四輪自動車を製造、販売を開始した際はそのディーラーになる予定で配車センター等の用に供するために広大な土地を取得していたところ、その計画が挫折したために、右用地を利用して自動車教習所経営に乗り出すことになつた。

そして、被申請人長尾商事は、昭和三八年一月二〇日同被申請人の営業目的に自動車教習業務を加えるとともに、同年八月一日その本社内に「ホンダオートスクール布施自動車教習所」の創立事務所を開設し、同年一〇月末からは自動車教習コース及び教習所校舎築造の工事に着手した。また、被申請人長尾商事は、教習所設置に必要な管理者として元警察署長の山下勇次を採用し、同年一〇月には「ホンダオートスクール布施自動車教習所」として指導員や事務員等の従業員を募集した。

(二) このように、被申請人長尾商事は、教習所開設のための準備を進める一方で、事業部門の分離、子会社の設立という従来の方針にのつとり、「株式会社布施自動車教習所」の設立の準備を進め、昭和三八年一二月、被申請人長尾商事・ホンダパーツ・神戸ホンダ販売の各代表取締役であつた長尾豊を発起人代表とし、被申請人長尾商事・ホンダパーツの各取締役であつた古川智男、篠原信夫、被申請人長尾商事の専務取締役であつた椛沢清次郎、同社の取締役営業部長であつた吉村敏男及び神戸ホンダ販売の営業課長であつた山田浩世らで構成する発起人会を設置し、被申請人長尾商事と長尾豊らが株式を引受けた後、昭和三八年一二月一八日創立総会が開かれ、同月一九日被申請人布施教習所が設立された。

(三) 被申請人布施教習所は、その後公安委員会から道路交通法第九八条所定の指定自動車教習所としての指定を受け、昭和三九年三月二三日業務を開始した。

2  被申請人布施教習所の資本関係

(一) 被申請人布施教習所の資本金は二、〇〇〇万円で、設立当時から昭和五三年五月六日の解散時まで変化はない。

(二) 被申請人布施教習所設立時の株式引受人は二三名であつたが、その株式引受数、四万株のうち、被申請人長尾商事が二万株(五〇パーセント)、長尾豊が一万六、〇〇〇株(四〇パーセント)、古川智男、椛沢清次郎、吉村敏夫、篠原信夫の各被申請人長尾商事取締役がそれぞれ五〇〇株ずつ計二、〇〇〇株(五パーセント)を保有し、残りの五パーセントも長尾豊の親族及び被申請人長尾商事の関係者らが所有していた。

昭和四五年ころ長尾豊所有の株式のうち、七、三〇〇株が同人の妻長尾登喜、長男長尾雅司、次男長尾群之、三男長尾宥史、長女古川嘉志子、二女長井秀子及び女婿古川智男らの長尾一族に譲渡されたが、被申請人長尾豊及びその一族らの株式保有率に大きな変動はなかつた。

(三) 被申請人長尾商事は、前認定のとおり布施分会との労働関係が悪化するに伴い、昭和五一年三月被申請人長尾商事所有の全株式二万株余のうち、昭和二七年から長尾豊のもとで働き同人の指示で被申請人長尾商事から被申請人布施教習所次長として赴任した壷林警治(解散時には監査役)に一万株、被申請人布施教習所の所長であつた河野保近の後任として長尾豊が招き入れた井出倉藏に五、〇〇〇株、主として組合対策を指導するための組織である協同組合の専務理事上谷孝治及び同大畑拓治に各二、五〇〇株をそれぞれ額面の半額二五〇円で譲渡し、外形上、被申請人長尾商事と被申請人布施教習所との資本関係はなくなつたが、当時は被申請人長尾商事の代表取締役でもあつた長尾豊が被申請人布施教習所の再建に乗り出した頃であり、右株式の譲渡先及び数量は長尾豊に一任されたものであつた。そして、右譲渡後の昭和五一年四月三〇日当時から会社解散時までの被申請人布施教習所の株式は、長尾豊が七、七四〇株、長尾豊の一族が七、三〇〇株(以上合計一五、〇四〇株で発行済株式総数の約37.6パーセント)、壷林警治が一〇、三八〇株、井出倉藏が五、〇〇〇株、上谷孝治及び大畑拓治が各二、五〇〇株をそれぞれ所有していた。

なお、被申請人布施教習所は昭和四九年から配当金がなくなつた。

3  被申請人布施教習所の役員

(一) 設立当初の被申請人布施教習所の役員のうち、代表取締役は被申請人長尾商事の代表取締役であつた長尾豊が兼任し、また、取締役のうち古川智男、椛沢清次郎及び吉村敏夫の三名は被申請人長尾商事の取締役と兼任であり、監査役も被申請人長尾商事の監査役であつた亀尾彰が兼任した。被申請人布施教習所の取締役のうち、山下勇次のみが被申請人長尾商事の役員を兼任していなかつたが、同人は教習所開設に必要な管理者として長尾豊に依頼されて管理者兼取締役に就任したものであり、その持株も二〇〇株にすぎなかつた。

(二) 昭和四二年七月、被申請人布施教習所の取締役古川智男及び吉村敏夫が辞任し、前記壷林警治及び当時被申請人長尾商事の取締役兼支配人であつた長尾雅司が被申請人布施教習所の取締役に就任し、その後、同年一二月に前記山下勇次が死亡したため後任の河野保近が取締役に加わつたり、古川智男が一時期監査役を務めた後昭和四四年七月に退任したり、また、日豊部品の監査役でもあつた大場義親が被申請人布施教習所に監査役として加わるなどの変動はあつたが、被申請人布施教習所の役員のほとんどは依然として被申請人長尾商事の役員で占められていた。

(三) 昭和五一年七月三〇日、被申請人布施教習所の取締役長尾雅司、同壷林警治、同社監査役大場義親がそれぞれ辞任し、新しく梅川忠雄及び井出倉藏が取締役に、壷林警治が監査役に就任した。右梅川忠雄は元被申請人布施教習所の従業員で、長尾豊の意向で取締役に抜てきされたものであるが、昭和五二年四月八日には辞任している。

また、昭和五二年七月二八日、河野保近が取締役を退任し、大屋庄三及び長畑平八郎が取締役に就任し、以後解散当時まで被申請人布施教習所の役員は、代表取締役長尾豊、取締役井出倉藏、同大屋庄三、同長畑平八郎、監査役壷林警治という構成であつた。右大屋及び長畑はいずれも被申請人布施教習所の従業員であつたところ、長尾豊の意向によつて取締役に採用されたものであり、同人の支配下にあつた。

(四) 以上のように、長尾豊は、被申請人布施教習所の設立当初から継続して代表取締役の地位にあり、その他の取締役も長尾一族ないし、被申請人長尾商事の役員か、長尾豊の意向に従う者によつて占められていた。

4  被申請人布施教習所の従業員

(一) 前記のとおり、被申請人布施教習所は設立時に指導員・事務員を一般公募して約四〇名を採用したが、その採用は当時の山下勇次所長に任されていた。しかし、その後従業員の定時採用はなく、必要に応じて従業員の縁故等により採用されていた。

なお、被申請人布施教習所の従業員数は、業務開始当時約五〇名、昭和四三年、ころから同四七年ころまでは約八〇名となつたが、その後減少して昭和五〇年には約七〇名となり、解散当時は約六〇名であつた。

(二) 壷林警治は、被申請人長尾商事の経理担当者であつたところ、被申請人布施教習所設立にあたり、長尾豊の意向に従い、被申請人長尾商事を退職して被申請人布施教習所に入社したが、実質的には被申請人長尾商事からの出向というべきものであつた。

また、被申請人長尾商事の取締役であり経理部長であつた北村卓美は、被申請人長尾商事を退職(ただし取締役としての地位は残つた)として、昭和四七年八月次長に昇任した壷林警治の後任の総務部長として被申請人布施教習所に入社したが、同人は約一年ほどで退職した。

5  被申請人布施教習所の財産

(一) 前記のとおり、被申請人布施教習所が使用する教習コース及び校舎等の施設は被申請人長尾商事により築造されたものであつて同被申請人の所有である。そして、被申請人布施教習所所有の不動産はなく、動産も教習用の自動車とわずかの備品が同被申請人の資産とされているのみであつて、被申請人布施教習所は営業に必要な資産のほとんどを被申請人長尾商事から賃借していた。

(二) 被申請人布施教習所設立後、教習コースの交通信号機が取り替えられたり、冷房機器や備品類が購入されたが、そのほとんどについて被申請人布施教習所が見積りをとり、後記本社稟議を経たうえ被申請人布施教習所が購入して代金を支払つているが、資産台帳上は被申請人長尾商事の所有となつている。なお、右のようにして購入された備品類について、被申請人長尾商事が被申請人布施教習所に代金を支払つたか否か不明のものもある。

(三) 被申請人長尾商事及び被申請人布施教習所のいずれについても、それぞれ資産台帳が作成され、被申請人布施教習所の使用する諸設備の所有関係は一応区別されていた。

(四) 前記のとおり、被申請人布施教習所は被申請人長尾商事から教習のための施設を賃借しており、昭和三九年度は保証金五、〇〇〇万円、賃借料年額五九四万円であつたが、賃借料は昭和四〇年度には年額一、三二五万円余に値上げされ、以後、毎年値上げされて昭和五二年には年額四、三一六万円余となり、被申請人長尾商事の全収入の約三割を占めるに至つた。

なお、昭和四五年の決算期において遡つて賃料が値上げされ、被申請人布施教習所が被申請人長尾商事に対して昭和四四年六月から昭和四五年四月までの一一か月分の賃料合計八四七万円を支払つたこともあつた。

一方、保証金は昭和四六年度までは据え置かれていたが、昭和四七年には七、二〇〇万円、昭和四八年以降は七、八〇〇万円とされた。

6  被申請人布施教習所・同長尾商事間の経理関係

(一) 会計制度

前記のとおり、被申請人長尾商事と長尾グループ内の各子会社との間では、当初本支店会計制度に類似した会計制度を採用していたが、被申請人布施教習所においても、設立当初から同様の会計制度がとられた。すなわち、(イ)被申請人布施教習所に独立の帳簿が備えられていたが、長尾商事という勘定科目が設けられ、一方、被申請人長尾商事にも、他の子会社と同様に布施教習所という勘定科目が設けられ、(ロ)被申請人長尾商事と被申請人布施教習所間においては、長尾グループ内で用いられていた共通の振替伝票が使用され、両者間の取引が右振替伝票により処理されるが、(ハ)長尾グループ共通の決算期である毎年五月三一日には、それぞれが独自に貸借対照表等の決算書類を作成したうえで、被申請人長尾商事において統一の合併決算書を作成していた。

こうして、被申請人長尾商事と被申請人布施教習所とは、経理上、被申請人長尾商事を本店とし、被申請人布施教習所を支店とするような会計制度をとることにより、被申請人長尾商事は資金移動の名目で被申請人布施教習所の金銭を利用するとともに、後記稟議制度と併せて、被申請人布施教習所の経理全般を掌握していた。

しかし、両者間の継続的な金銭消費貸借関係が終了したことに伴い、昭和四七年一〇月ころからは、被申請人長尾商事・被申請人布施教習所間において、相手方の勘定科目を設けることはなされなくなり、それまでの共通の振替伝票も使用されなくなつた。

(二) 資金関係

前記のとおり、被申請人長尾商事は、被申請人布施教習所設立前から教習コース・校舎等の諸設備の築造について自らの資金でまかなつたが、被申請人布施教習所が業務を開始してからも、営業が軌道に乗るまではその資金の不足分を融資してきた。

その後、被申請人布施教習所の収益が増加するに伴い、昭和四二年ころからは、被申請人布施教習所から被申請人長尾商事に対して利息付で貸付が行われるようになつた。すなわち、被申請人布施教習所は教習生の入所時に入所申込金・授業料等が現金で払い込まれると、それをいつたん自らの当座に振り込み、それを「資金移動」の名目で一〇〇万円から四〇〇万円の単位で、被申請人長尾商事の銀行口座に振込み、あるいは小切手の形で被申請人長尾商事に送付した。被申請人布施教習所は自己の資金繰りを考慮しつつ月に数回右のような送金を行つていたが、給料等の多額の支払を要するときなどはその不足分が被申請人長尾商事から逆に返済として被申請人布施教習所に送り込まれた。

こうして、被申請人長尾商事は、被申請人布施教習所の収入の一部を借入金として吸い上げ、その金員を自ら又は長尾グループ内の子会社の営業資金として融資してきた。

ところが、昭和四七年一〇月ころからは、被申請人長尾商事において資金需要が減つたこともあつて、これまでの継続的な金銭消費貸借関係を一応終了させたことから、資金移動の名目による貸借をしなくなり、従つて、共通の振替伝票の使用もなくなつた。

その後、被申請人長尾商事は、昭和四八年三月被申請人布施教習所から三、〇〇〇万円を借り入れたが、右借入金は昭和四九年四月二七日には返済されている。

一方、被申請人長尾商事は、昭和五三年一月被申請人布施教習所に対しその従業員の給与資金として約二、九二〇万円を貸付け、さらに同年三月長尾豊に対し約一、二〇〇万円を貸付けたが、右貸金は未だ弁済されていない。

(三) 相互保証

被申請人長尾商事と被申請人布施教習所とは、金融機関から融資を受けるについて相互に保証をするなどしていた。すなわち、被申請人布施教習所が昭和三九年三月に金融機関から六〇〇万円の融資を受けた際、被申請人長尾商事がこれに連帯保証をなし、一方、被申請人長尾商事が昭和四三年五月に一、〇〇〇万円の融資を受けたときは被申請人布施教習所が併存的債務引受をし、さらに被申請人、布施教習所は、被申請人長尾商事のために同年三月には将来の債務について限度額二億円の、連帯保証をする旨の決議をし、同年七月には別途一億七、〇〇〇万円の連帯保証をしたが、被申請人布施教習所の昭和四三年度の営業収入約一億四、八〇〇万円、昭和四四年度の営業収入約一億七、五〇〇万円に比しても、その保証額は極めて大きなものであつた。

7  業務

(一) 被申請人布施教習所の組織等

被申請人布施教習所には、設立当初、社長、所長、次長の外に総務課、教務課、経理課が置かれたが、道路交通法により指定自動車教習所に必要とされる管理者は所長と兼任であつた。なお、管理者は、教習生徒の入所申込を許可し、卒業証明書を発行する権限を有し、また、公安委員会に対し、月次、年次の報告書を提出する等、教習業務の責任者であつた。

その後、若干の統廃合等があつた結果、昭和五二年二月ころからは、長尾豊が代表取締役と所長を兼務し、井出倉藏が次長兼管理者に就任し、その下に教務部、業務部、総務部の三部が置かれていた。

被申請人布施教習所の課長以上の職制で被申請人長尾商事の職制をも兼任していたのは長尾豊のみであつたが、前記のとおり、同人は昭和五三年一月からは被申請人長尾商事の代表取締役を退任している。

被申請人布施教習所においては、設立当初から毎年定時の株主総会が開催され、また、重要な業務については定時または臨時の取締役会で決定されていた。

(二) 稟議制度

被申請人布施教習所の日常の業務のうち、金銭の出捐を要しない業務や、金銭の出捐を要するとしてもさほど多額でない場合は、所内稟議事項とされて所長の決裁により処理されていた。

右以外の事項については、社長の決裁が必要とされていたが、被申請人布施教習所設立当初から昭和五一年二月ころまでは、長尾豊が被申請人長尾商事に常勤していたこともあつて、被申請人長尾商事が作成した本社稟議用紙に被申請人布施教習所の担当者が起案し、被申請人布施教習所の所長、次長らの稟議を経たうえで、被申請人長尾商事の庶務課を通して長尾豊の決裁を仰いでいた。そして、右稟議に際しては、被申請人長尾商事の経理課員が意見具申をしたり、閲了印を押し、また、事後の了承を求めてきた稟議書については今後事前に稟議を提出するように被申請人布施教習所側に注意するなどしたほか、一時期は、被申請人布施教習所の役員でもなく、また、被申請人布施教習所の業務に直接従事していない古川智男(被申請人長尾商事取締役)が社長代行として決議するなどしており、被申請人布施教習所の業務についても長尾商事の従業員及び役員が長尾豊の職務を補佐することがあつた。なお、このような形の稟議を前記所内稟議と区別して、本社稟議と呼ぶ者もあつた。

しかし、右にいう本社稟議は、長尾豊が被申請人布施教習所に所長として常駐するようになつた昭和五一年二月以降はなされなくなつた。

(三) その他

被申請人布施教習所の教習生送迎バスの路線はたびたび変更されたが、その変更と関わりなく、被申請人長尾商事及び日豊モータースの本社前に停留所が設立されていた。しかし、それらの停留所を利用する教習生はほとんどなく、右停留所は、送迎バス(一日五便)に便乗して、「社内連絡用封筒」と表示され振替伝票、稟議書等の書類が入れられた大型封筒を両被申請人相互間に運搬するために利用されていた。

昭和四八年一〇月には、被申請人布施教習所の校舎が移転されたが、その竣工式及び一〇周年記念式典の案内状は被申請人布施教習所と被申請人長尾商事の連名で発送された。

昭和四一、二年頃には被申請人長尾商事と日豊モータースが被申請人布施教習所の施設を利用して年数回程度自動車の試乗会と展示会を開催したが、その際、被申請人布施教習所は当日を休校にして施設を開放した上これを無償で貸与して協力し、また、送迎用、バスの運行や場内整理などに被申請人布施教習所の従業員が動員されて、その分の賃金も被申請人布施教習所が支払つたこともあつた。

8  人事、労務等

(一) 被申請人布施教習所の教習指導員及び事務員の採用及び採用条件、昇給、日直の割当、施設利用の許可等は所長の権限でなされていた。

(二) 被申請人布施教習所における人事、労務に関する事項の多くは、前記のとおり、労働協約により団体交渉ないしは労使協議会において布施分会と協議・決定されていたが、団体交渉及び労使協議会の被申請人布施教習所側の出席者は所長以下の幹部で、長尾豊は昭和五一年春まで出席することはなかつたし布施分会もそれまで長尾豊ないしは被申請人長尾商事幹部の出席を要求したことはなかつた。

しかしながら、被申請人布施教習所設立当初から、その職員の所外派遣研修、慰安旅行、従業員の給与・手当の増額、特別功労金の支出、退職記念品の贈呈、労働基準法第三六条に基づく協定や慶弔規定の改正等については、前記本社稟議がなされ、その際、被申請人長尾商事の経理担当社員やその経理部長であつた古川智男が被申請人布施教習所従業員の給与や手当について意見を具申したこともあつた。また長尾豊は、労使協議会、団体交渉の内容について、事前または事後に報告を受けていた。

(三) しかし、長尾豊が被申請人布施教習所の経営に直接乗り出し、団体交渉に自ら出席し始めた昭和五一年春以降は、被申請人布施教習所の人事、労務についていわゆる本社稟議を経ることはなくなつた。

9  被申請人布施教習所職員の被申請人長尾商事に対する認識等

長尾グループ内で共通して使用されていた振替伝票には、被申請人長尾商事を表示する「本(社)」の項目があり、一部の稟議書等には被申請人長尾商事を本社と表示した記載があり、被申請人布施教習所の従業員は、一般に、被申請人長尾商事のことを本社と呼んでいた。また、被申請人布施教習所は、被申請人長尾商事の職員については、「本社扱い」として教習料金を割り引いていた。

第五被申請人長尾商事の申請人らに対する責任

そこで、以上に認定した事実関係を前提として、被申請人長尾商事が申請人らに対して使用者としての責任を負うべきものとする申請人らの前記主張の当否について検討を加える。

一まず、およそ社団に対する法人格の付与は、社会的に存在する団体が立法政策上これを権利主体として表現するに値すると認められるときに行われるものであるから、形式上独立の法人格を有する社団であつても、その法人格が全くの形骸に過ぎない場合、またはその法人格の濫用があるときには、法人格付与の目的に反するものとしてその法人格を否認することにより、特定の法律関係における相手方に妥当な救済を与えなければならない場合も生ずるものと解すべきである(最高裁判所昭和四四年二月二七日判決・民集二二巻二号五一一頁参照)。このいわゆる法人格否認の法理は、準則主義によつて容易に設立することのできる株式会社についてその適用を考慮すべき場合が多く、現に本来は商取弓の分野において形成されてきたものであるが、その一般条項的な性格に鑑みれば、これを商取引の分野においてのみ妥当するものと解する理由はなく、労働契約関係についても事案に応じて法人格否認の法理の適用をみるべき場合があるものと考えるべきである。

二ところで、法人格否認の法理の適用される第一の場合は、その法人格が全くの形骸に過ぎない場合であるところ、ここにいう法人格が全く形骸にすぎない場合とは会社と社員間もしくは複数の会社間に実質的・経済的同一性が存し、会社が会社として独立して存在しているとは到底いいえない場合、すなわち、法人格否認の対象となる会社が実質的には完全な個人企業で会社としての実体を有していない場合あるいは従属会社が支配会社の単なる一営業部門にすぎないような場合をいうものと解される。

しかし、本件においては、被申請人長尾商事と被申請人布施教習所との間に極めて密接な関係があるとはいうものの、もともと被申請人長尾商事はその事業部門を子会社として分離独立させて被申請人長尾商事を頂点とする長尾グループともいうべき企業集団を形成し、自らは支配下にある関係会社の管理支配業務にあたつてきており、被申請人布施教習所も、主として自動車教習業務にあたらせるために独立の会社として設立しその支配下に置いたのである。そして、被申請人長尾商事と被申請人布施教習所の財産は一応分離され、収支もそれぞれ別個に記載され、業務も区別されているのであつて、両者の財産の帰属及び収支が区別し難い状態や両者の業務が混同される状態が継続した事実はなく、被申請人布施教習所においては独自に株主総会及び取締役会を開催し、その意思決定及び業務の執行について法の要求する手続事項を遵守しているのであつて、これらの事実に照らして考えると、被申請人布施教習所が被申請人長尾商事の単なる一営業部門にすぎないもの、すなわち被申請人布施教習所の法人格が全く形骸化していたものということはできない。

(なお、支配従属の関係にある会社間において従属会社の法人格が全く形骸化している場合には、従属会社と雇用契約を締結した従業員が支配会社に対して雇用契約上の責任を追及するに際し、当事者の意思を合理的に解釈することによつてその間に直接の雇用契約が認められることが多く、このような場合は法人格否認の法理を適用するまでもないわけであるが、本件においては、被申請人長尾商事と申請人らとの間において明示または黙示の雇用契約が締結されたものと認めるべき資料はない。)

三法人格否認の法理の適用をみる第二の場合、すなわち法人格の濫用を理由として会社の法人格を否認すべき場合には、その前提として、(イ)会社の背後の実体が、会社を自己の意のままに「道具」として用いることができる支配的地位にあり(支配の要件)、且つ(ロ)背後の実体が会社形態を利用するにつき違法又は不当な目的を有していること(目的の要件)を要するものと解されるが右(ロ)にいう「目的」は、必ずしも否認されるべき会社の設立当初から存在する必要はなく、その設立後に中途からこれを有するに至つた場合であつても、法人格否認の法理を適用することを妨げないものというべきである。

そして、右各要件を支配従属の関係にある親子会社における雇用関係に即していえば、支配会社において、従属会社が別法人であることを奇貨として、支配会社の利益のために従属会社の利益を害する結果をもたらすような不当な支配力の行使をしあるいは従属会社をして不当労働行為をさせ、もつて従属会社の労働者の雇用契約上の権利を侵害したような場合も、法人格の濫用があつたとして従属会社の法人格を否認し、従属会社と支配会社とを同一視して支配会社に対し雇用契約上の責任を問うことができるものとしなくてはならない。

1  そこで、前認定の事実に照らして、本件において被申請人長尾商事が被申請人布施教習所を右の如き意味において「支配」していたか否かを検討するに、

(一) 被申請人布施教習所の設立以降昭和五一年三月に被申請人長尾商事が被申請人布施教習所の株式を譲渡するまでは、被申請人長尾商事が被申請人布施教習所の株式総数の五〇パーセントを所有していたのみならず、被申請人長尾商事の支配株主で同社の代表取締役であつた長尾豊が株式総数の四〇パーセントを所有し、また、残りの株式も被申請人長尾商事関係者及び長尾一族が所有するなど、被申請人布施教習所の株式は、被申請人布施教習所の事業の運営及びその成果について被申請人長尾商事と利害を共通にする者が所有していたのであつて、昭和五一年三月までは、被申請人長尾商事は被申請人布施教習所の名目上及び実質上の絶対的支配株主の地位にあり、被申請人布施教習所はいわゆる一人会社と同様に考えてもよい状態であつたのである。そして被申請人長尾商事はその後被申請人布施教習所の株式を譲渡して外形上は被申請人布施教習所との資本関係をなくしはしたが、被申請人布施教習所の株式のほとんどは長尾豊とその一族及び被申請人長尾商事関係者ともいうべき壺林警治らが所有しており、長尾豊とその一族は被申請人布施教習所の経営について被申請人長尾商事と利害を共通にし、壺林警治らは被申請人布施教習所の法人格の利用目的について長尾豊及びその一族と認識を同じくし、あるいは株主権の行使について長尾豊、ひいては被申請人長尾商事の意向に従つていたのであるから、被申請人長尾商事は被申請人布施教習所の株式を手離した以後においても、依然として株主権の行使について支配株主と同様の支配力を有する地位にあつたというべきである。

(二) 被申請人長尾商事・被申請人布施教習所双方の中枢的経営陣は、役員の兼任関係においても身分関係においてもきわめて緊密な関係にあり、しかも、両者の関係、とくに被申請人長尾商事の支配の目的及び態様からすれば、兼任取締役のなした業務執行は被申請人布施教習所のためになされたものであると同時に被申請人長尾商事の利益のためになされたものであると評価することができる。兼任ないしは身分関係のない雇われ役員は、長尾豊、ひいては被申請人長尾商事の意向によつて選ばれ、その意向に従つて行動していたに過ぎない。

(三) 被申請人布施教習所は、自動車教習業務に不可欠な教習コース、校舎ほかの施設のほとんどを被申請人長尾商事から賃借していたのであつて、その営業について全面的に被申請人長尾商事に依存していた。

(四) 被申請人長尾商事は、本支店会計制度に類似した会計制度を採用することによつて被申請人布施教習所の経理全般を掌握したのみならず、稟議制度を用いて、相当額の出資を要する事項の処理に関与し、被申請人布施教習所の業務及び労務について統一的に管理してきたが、右会計制度及び稟議制度が利用されたことの疎明のない昭和五一年以降においても、長尾豊を通じて被申請人長尾商事の利益のために同様の体勢を維持していたとみられる(なお、長尾豊は昭和五三年一月に被申請人長尾商事の代表取締役を退任したが、後任の古川智男と長尾豊の身分関係と利害関係、長尾豊及び古川智男の被申請人長尾商事、被申請人布施教習所の各株式所有関係に鑑みると、右退任後も、被申請人長尾商事は長尾豊を通じて被申請人布施教習所の業務及び労務を統一的に管理してきたことに変わりはない)。

(五) 被申請人長尾商事は、実際に、被申請人布施教習所の増収、すなわち被申請人長尾商事の賃料収入増加のためには布施分会が障害となるとして、布施分会の壊滅ないしは弱体化のために長尾豊を通じて被申請人布施教習所をして実質的な団体交渉の拒否、労働協約等の全面廃棄の申し入れ、夏季及び冬季一時金の不払い、教習生入所受付停止等の一連の措置をとらせているのであつて、被申請人布施教習所の解散及びそれに伴う被申請人布施教習所従業員の解雇も、被申請人長尾商事の意図に副うものであつたとみることができる。

そして、以上の諸点に照らして考えると、被申請人長尾商事は、被申請人布施教習所を自己の意のままに「道具」として用いることができる支配的地位にあつたものというべきである。

2 さらに、本件において被申請人長尾商事が前記違法不当な目的を有していたか否かを検討するに、前認定の如く、被申請人長尾商事は、自己所有の不動産を運用するために被申請人布施教習所を設立し、賃料名目で多額の収入を得てきたのであるが、そればかりでなく、被申請人布施教習所の余剰資金を自ら及び長尾グループ内の関連会社のために運用したり、被申請人長尾商事の債務について被申請人布施教習所にその営業収益に比して極めて多額の連帯保証等をさせるなど自己の利益のために被申請人布施教習所を意のままに支配してきた。

そして、被申請人布施教習所の収入が減少するや、昭和五一年二月ころから長尾豊がその増収のため「経営改善」に直接乗り出し、前記認定のような一連の経過を辿つたものであるが、右経過における長尾豊の行為は、被申請人長尾商事、被申請人布施教習所及び長尾豊の関係、さらに右昭和五一年二月ころ以降の右三者による一連の行動からすると、布施分会の壊滅または弱体化のために、被申請人布施教習所の代表者として行動するのと同時に、被申請人長尾商事のために被申請人長尾商事代表者として不当労働行為に該当する行為を重ねたものというべきであり、しかも被申請人長尾商事の利益のために、被申請人布施教習所の利益を度外視しての行動であつたと考えられる。

すなわち、被申請人長尾商事は、賃料名義による収益を保持しあるいは増加させるために、長尾豊をして被申請人布施教習所の増収を企図させたが、右増収のためには布施分会が障害になるとして布施分会を弱体化させる意図の下に、被申請人布施教習所をして実質的な団体交渉の拒否をさせ、労働協約・労働慣行の全面廃棄を申し入れさせ、夏季・冬季一時金の支払いを拒否させるなどしたのみならず、布施分会を屈服させるための手段として、被申請人布施教習所をして教習生の入所受付停止や転退校の措置を相次いでとらせた。しかし、この措置は被申請人布施教習所にとつては不利益極まるものであつて、その結果被申請人布施教習所は収入の途を断たれ被申請人長尾商事に対する支払能力も著しく弱めるに至つたが、被申請人長尾商事は、当初の狙いが失敗して被申請人布施教習所の経営状況が悪化するや、今度は被申請人長尾商事の利益を守るには会社の解散しかないとして被申請人布施教習所をして解散させ、それに伴つて被申請人布施教習所従業員を全員解雇させ、さらに、被申請人布施教習所の業務継続に必要不可欠な教習施設の賃貸借契約を解除して明渡訴訟を提起し、右訴訟において被申請人布施教習所をして請求の認諾をさせるに至つたのである。

被申請人長尾商事が被申請人布施教習所にさせた布施分会に対する以上の一連の所為が不当労働行為に当ることは明らかであり、その結果申請人ら被申請人布施教習所従業員の賃金債権の行使を困難にさせたのみならず、最終的には、被申請人布施教習所を解散に至らしめ、これに伴う全員解雇により申請人らの従業員たる地位を失わさせたのであつて、被申請人長尾商事は、被申請人布施教習所が別法人であることを奇貨として、前記のように、支配力を不当に行使したものといわざるを得ない。

四従つて、本件においては、法人格の濫用があるものとして法人格否認の法理が適用されるべきであつて、その結果、申請人らに対する関係では被申請人長尾商事は被申請人布施教習所と同一視され、被申請人長尾商事は被申請人布施教習所の申請人らに対する雇用契約上の責任と同一内容の責任を(不真正連帯の関係において)負うものと解すべきである。〈以下、省略〉

(中川臣朗 廣澤哲朗 二本松利忠)

賃金目録、選定者目録〈省略〉

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